マダガスカル・タンザニア出張(2016年11月16日~12月4日)報告書
京都大学
アフリカ地域研究資料センター・教授
池野 旬
平成28年11月16日から12月4日まで、マダガスカルとタンザニアに出張した。タンザニアでの主たる訪問地は、インド洋上のザンジバル諸島の本島といえるウングジャ島(以下、ザンジバルと記す)であった。このような訪問地を組み合わせる旅客はほとんどいないようで、旅程の作成に苦労した。結局、以下のような経路で移動した。
11月16日 午後11時40分 関西国際空港発
11月17日 午前5時05分 ドバイ着
午前10時25分 ドバイ発
午後4時18分 ヨハネスブルグ(南アフリカ)着
11月18日 午前10時08分 ヨハネスブルグ発
午後2時00分 アンタナナリヴ(マダガスカル)着
11月25日 午後4時52分 アンタナナリヴ発
午後7時54分 ナイロビ(ケニア)着
午後11時58分 ナイロビ発
11月26日 午前1時20分 ザンジバル(タンザニア)着
12月2日 午前10時32分 ザンジバル発
午前10時55分 ダルエスサラーム(タンザニア)着
12月3日 午後5時25分 ダルエスサラーム発
午後11時18分 ドバイ着
12月4日 午前3時45分 ドバイ発
午後5時03分 関空着
上記の経路のうち、11月26日にザンジバルに移動するにあたって、南アフリカ、ザンビア、モーリシャス等の経由地も検討したが、最も早く到着できるナイロビ経由のフライトを利用した。ザンジバルには26日深夜に到着することになっており、そんな時間帯のフライトを利用する旅客がいるのかといぶかしんだが、観光客らしき欧米人やザンジバル在住者と思われるアフリカ人等が20数名降り立った。また、フライトはザンジバルのあとにキリマンジャロ(タンザニア)に向かうことになっており、まだかなりの乗客が機内に残っていた。
1. マダガスカル
今回のマダガスカル訪問の目的の1つは、アンタナナリヴ大学理学部動物学・生物多様性学科(Department of Zoology and Animal Biodiversity, Faculty of Sciences, University of Antananarivo)においてラクトゥマナナ(H. Rakotomanana)教授とお会いし、グローバル化に伴うアフリカ地域研究パラダイムの再編について討議し、今後も研究協力を継続していくことを確認することであった。11月24日に同教授の研究室でお会いすることができた。また、この折にフェリックス(R. Felix)准教授ならびに学科長のザフィマヘリ(R. Zafimahery)博士とお会いすることができ、研究協力について相互に便宜供与に努めること、また共同研究の促進をさらに図っていくことについて、有意義な意見交換ができた(写真1)。
写真1:アンタナナリヴ大学のシーラカンスの標本の前で(2016年11月24日)
右から、報告者(池野)、ラクトゥマナナ教授、フェリックス准教授、市野進一郎研究員
マダガスカル訪問のもう1つの目的は、アフリカ地域にあって特異な生態系を有するマダガスカルの生態環境保全に関する知見を広めることであった。頭脳循環プログラムで派遣されていた市野進一郎研究員(京都大学アフリカ地域研究資料センター)に同行願い、アンタナナリヴから東に車で3時間の距離にあるマンタディア・アンダシベ(Mantadia-Antasibe)国立公園を11月19日に訪問した(写真2)。また、11月20日から23日にかけては、佐藤宏樹助教(京都大学アフリカ地域研究センター)の調査地であるアンカラファンティカ(Ankarafantsika)国立公園(アンタナナリヴから北に約400km、車で8時間)を、佐藤助教、市野研究員ほかと訪問した(写真3、4)。今回訪問したマダガスカルの国立公園では、公園内を徒歩で移動でき、キツネザル等を発見すれば林に入っていくこともできた。このような訪問客の受入方式は、報告者がこれまで訪問したことのある東アフリカのタンザニアやケニアの国立公園とはかなり異なっている。東アフリカの国立公園では、ライオン等の猛獣がおり、またサバンナの植生保護も図られているために、公園内は車両で移動し、車両は道路以外の走行は禁止されており、また乗客は原則として降車を禁止されている。また、東アフリカの国立公園の周辺には豪華なホテルや土産物屋が乱立しているが、マダガスカルの国立公園の周辺は落ち着いた雰囲気であり、観光客数も少なめであるような印象を受けた。
写真2:マンタディア・アンダシベ国立公園入り口の案内板(2016年11月19日)
歩行時間の異なるルートがいくつか示されており、訪問客は見学予定時間と
自らの体力に合わせてルートを選択し、国立公園の公認ガイドに案内してもらう。
写真3:アンカラファンティカ国立公園の入り口(2016年11月21日)
アーチ状の看板には、「鳥の王国・聖なる湖の地・生命の源」という意味深長な惹句が書かれてある。
最後の文字の上に、シファカ(マダガスカルに生息するキツネザル類の一種)が座っている。
写真4:シファカとの遭遇(アンカラファンティカ国立公園にて。2016年11月22日)
写真右端にいるシファカを、市野研究員が撮影しようとしている。
危害を加えない動物と人間を認識しているのか、かなりの近距離でも逃げようとはしない。
アンタナナリヴから2つの国立公園に向かう途中の景観でとくに印象的であったのは、まずは水田稲作地域の多さである(写真5)。その反面、一年生作物と樹木作物いずれも、
写真5:道路沿いの田植え風景(2016年11月19日)
アンタナナリヴから東部と北部の2つの国立公園に向かう途上には水田稲作地域が広がっている。
種類がかなり限定的であるような印象を受けた。東アフリカのケニア・タンザニアでは車で3時間や8時間走行すれば、かなり異なる作物を見ることができるが、作物に関するかぎりマダガスカルの今回訪問した地域の景観は単調であった。また、人家を確認できない草原が延々と続いている場所が少なからず存在し、ところどころにユーカリや松が植林されていたが、樹木が火入れによって焼けていた(写真6)。ユーカリ、松は建材や薪炭材として利用されるそうであるが、生育段階でダメージを受けているようである。そして、人家については、アンタナナリヴ近郊の2階建てベランダ付きのメリナ人の建築様式(写真7)が、アンカラファンティカ国立公園に近づくにつれ、屋根の上に垂木が組まれ、軒が突き出したサカラヴァ人の建築様式(写真8)へと変わっていった。
写真6:草原の火入れのために葉が焦げたユーカリ植林(2016年11月23日)
写真7:アンタナナリヴ郊外の家屋(2016年11月20日)
ベランダのあるレンガ造り2階建ての家屋は、報告者の北部タンザニアの調査地では見かけない。
写真8:屋根の上に垂木が組まれ、軒がせり出している家屋(2016年11月23日)
北部マダガスカルに広く居住するサカラヴァ人(Sakalava)の特徴的な家屋
2. タンザニア(ザンジバル)
11月25日にアンタナナリヴを出発し、ケニアのナイロビを経由して26日早朝にタンザニアのザンジバルに到着した。頭脳循環プログラムの対象国に指定されていないタンザニアのザンジバルを訪問した目的は、第1に今後の研究協力の深化をめざして同地の関係者と意見交換を行うことであり、第2にマダガスカルと同じく西インド洋の島嶼部であり、マダガスカルに比べて観光産業の振興が進んでいるザンジバルの現状を把握すること、とくに地域住民の住環境に焦点を合わせて知見を得ること、であった。
第1の目的については、すでに面識のあるザンジバル国立大学(The State University of Zanzibar。略称はSUZA)のモハメッド・シェイク(Mohammed Ali Sheikh)教授と面談し、頭脳循環プログラムの要旨を説明して、タンザニア、なかでもザンジバルにおいても同種のプログラムを今後企画していくことで、賛同いただいた(写真9)。ちなみに、SUZAの英名はState Universityから始まるが、米国の大学であれば州立大学と訳するのが妥当であろう。しかしながら、タンザニア連合共和国の特殊事情から、国立大学と訳するのが望ましい。同国は、植民地史の異なる本土部分(アフリカ大陸内)とインド洋上のザンジバル諸島から構成されており、両地域が1964年に合邦した後もザンジバルは内政自治権を有しており、教育も例外ではない。SUZAはザンジバル政府(Revolutionary Government of Zanzibar)が設置した大学であり、タンザニア連合共和国(United Republic of Tanzania)政府の管轄下にはないが、国立大学と認識されている。SUZAは1999年に設置され、2001年に活動を開始した新しい大学である。シェイク教授とは世界遺産であるストーン・タウン内のSUZAヴガ(Vuga)キャンパスでお会いしたが、SUZA創設時の同キャンパスは手狭となっており、SUZAの本体はすでに郊外のトゥングー(Tunguu)キャンパスに移転済みである。SUZAの教員の年齢も、概して若い。シェイク教授も40歳代の前半であるが、大学院教育・調査研究センター(Center for Graduate Studies and Research)のセンター長の要職にある。同教授は、ザンジバルにおける調査活動全般についてザンジバル政府に助言できる立場にあり、ザンジバルでの調査活動について種々の協力をお願いすることになろう。
写真9:ザンジバル国立大学(SUZA)にて(2016年11月29日)
写真の左端の人物がシェイク教授と思われるであろうが、正解は右端の人物。
左端は、大学院を終了したばかりのアリ(Hassan R. Ali)さん。
アリさんはシェイク教授の小学校時代の恩師であり、数年前にSUZAの大学院に入学して、
かつての教え子であるシェイク教授に師事することになった。
ザンジバル訪問のもう1つの目的は、住環境についてなんらかの知見を得ることであった。報告者はかつてザンジバルの井戸水の水質調査を行うための試料収集のために、ウングジャ島の約100ヶ所の井戸を回ったが、その折に同行してくれたのが写真9のアリさんであった。2年を経て何らかの景観変化があるのかを知るために、ウングジャ島の広域を再び回った(地図)。
ウングジャ島の北端および東海岸の中部域より南の海岸沿いには、外国人向けの観光リゾートホテルが林立している。まだ建物が立っていない場合にも敷地が塀で囲われており、内部に立ち入ることができない空間が海岸沿いに延々と続いている。海岸に面している地域はほぼ満杯になったためか、海岸沿いの道路の西側(つまり、海岸と道路を挟んで反対側)にもホテルが立ち並び始めている。このようなホテル用地に土地を提供(売却か賃貸かは不明)した地域住民は、海岸から離れた場所に家屋を建設し続けている。東海岸のリゾート地化は、中部より北の海岸沿いでも進みつつある。地域住民による漁業や磯での海産物採集といった生業活動と、ホテル業や外国人向けのマリーン・スポーツの展開をどう折り合っていくのかは、ますます問題となりつつある(写真10)。
地図:今回走行したウングジャ島の道路網(走行部分を赤字で表示)
地図に縮尺を記していないが、ウングジャ島は1,658km2で、大阪府(1,905km2。日本で2番目に小さい)よりやや小さい。
写真10:ウングジャ島東海岸南部のパジェ(Paje)にある遠浅の海岸
右方の2人の女性の荷物は、収穫した海藻。
彼女たちの左側に小さな杭がいくつも見えるが、海藻の養殖場。
写真に写っていない彼女たちの右側には、リゾート・ホテルが立ち並び、
マリーン・スポーツがさかんである。
すでに観光業関連の開発が進行している東海岸とくらべ、内陸域と西海岸は、世界遺産のストーン・タウン一帯の都市部を除いて、農村地帯が広がっている。開発の進度が緩やかなように感じるが、2年前と比べてみると、道路網の整備が進められていた。2年前にはストーン・タウンから西部に向かう道路は片道1車線ずつであったが、2車線道路が新設され、さらに延長されようとしていた。それに伴って、道路脇の建造物の立ち退きが地域住民の頭痛の種になっているとのことであった(写真11)。
写真11:道路の拡幅のために一部撤去を求められている商店
壁に赤字で✕印と矢印が書かれている。この建物は、そのほぼ8割に当たる、
矢印より左の部分を撤去するようにという警告を受けている。
3. 感想
今回初めてマダガスカルを訪問する機会を得て、40年間調査を続けてきた東アフリカの内陸部(ケニア東部とタンザニア北部)とはかなり様相の異なるアフリカを体験できた。一方、ザンジバルについては、マダガスカルとなにか共有するものを感じ取った。たとえば、島嶼部、米食文化、観光産業の展開等々、類似する背景が影響しているのであろう。すでに、ロバート・D・カプラン著『インド洋圏が世界を動かす』(インターシフト 2012年)(原著は、Kaplan, Robert D., Monsoon: The Indian Ocean and the Future of American Power, Brandt & Hochman Literacy: New York 2010)などの地政学や政治経済学の分析が試みられているが、文化的な側面にも目配りした環インド洋世界という分析空間・分析枠組への関心は、頭脳循環プログラムのめざすパラダイム転換にも示唆を与えるものとなりうる。