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南アフリカ報告
―ケープタウン大学とネルソン・マンデラ・メトロポリタン大学を中心に―

京都大学

アフリカ地域研究資料センター・特任教授

梶 茂樹

 

 

平成28年2月17日から28日まで南アフリカのケープタウンとポートエリザベスに行ってきた。2月17日の夜、エミレーツ航空で関空を発ってドバイ乗り換えで、18日夕方ケープタウンに着いた。ただ都合によりポートエリザベスを先に訪問することになっていたので、ケープタウンでは、そのまま南ア航空の国内便に乗り継ぎポートエリザベスへと飛んだ。ポートエリザベス行きは、ポートエリザベス空港が軍隊の行事のため夕方閉鎖されていたせいで出発が遅れ、着いたのは夜の9時ころであった。京都の家を出てから33時間がたっていた。空港ではASAFASの客員教授も務めたErnst Kotzé氏(ポートエリザベス大学名誉教授)が迎えに来てくれていた。夜8時着ということだったので7時半頃空港に行ったら、閉鎖されていてしばらく空港に入れなかったということであった。

ポートエリザベスは近年周辺地区と合併し、ネルソン・マンデラ都市圏の一部となっている。大学名もかつてのポートエリザベス大学からネルソン・マンデラ・メトロポリタン大学と名前を変えている。ネルソン・マンデラというのは、もちろんあのネルソン・マンデラである。ポートエリザベスを含む東ケープ州にゆかりがあるということで、この名になったようだ。

ポートエリザベスは、私がよく訪れるナイロビやカンパラとは全く趣の異なる町であった。ナイロビやカンパラでは町の中心街に行けば現地人―-というか、黒人―-がわんさかといるが、ポートエリザベスはアフリカの町とはいえ、そういうことは全くない。また高い建物もほとんどなく、全体的にゆったりとしている。そして人もまばらなのである。それにまして大きく違うのは、ポートエリザベスは白人の町であるということである。人口は23万人ぐらいであるが、そのうち半分近くがアフリカーンス語を話す白人である。あと英語を母語にする白人が40%ぐらいいる。いわゆる黒人(主としてコサ人)は全体的に見て非常に少ない。町はずれには広い敷地の邸宅が並んである。もちろん、黒人でそういう住宅に住んでいる人はいるということである。

ネルソン・マンデラ・メトロポリタン大学は、本プロジェクトで構築するアフリカ地域研究のネットワークをさらに拡げるために訪問した。ネルソン・マンデラ・メトロポリタン大学は、幾つかのキャンパスを持つが、本部のある主キャンパスはポートエリザベス市内南西の海岸地帯に位置し、広大な敷地の中にある。そしてその敷地にはシマウマやヒヒなどの野生動物がいるのだ。というか、動物保護区の一角を大学の敷地として利用しているのである。さすがに大型動物はキャンパス内には出入りできないと思うが、ヒヒや猿は気が付くと研究室の窓の外にいるということはよくあるらしい。

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写真1. ネルソン・マンデラ・メトロポリタン大学

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写真2. ネルソン・マンデラ・メトロポリタン大学学長室にて。左から、私、Swartz学長、Kotzé氏

 

2月22日に学長Prof. Derrick Swartzにお会いした。専門は聞き漏らしたが、学長として様々な領域に関心を持っておられるのがよくわかった。大の日本通で、ほぼ毎年学会で日本に行っているという。富士山登山も果たしている。とりわけ京都には詳しく、大原の細かい寺院の名前や懐石料理にも詳しかった。本学の山極総長にも去年会ったと言っていた。

Swartz学長は快活で、非常に友好的であった。京都大学と是非とも学生・研究者交流を行いたいという希望を持っている。私が言語学とアフリカ研究をやっているということは、Kotzé氏から聞いて知っていたようであるが、人文・社会系だけでなく、工学・医学系や海洋学などについても是非協力的関係を結びたいということであった。「山極総長は南アフリカに来たことはあるか」と言うので、「多分ないのではないか」と答えると、「では是非招待したい」ということであった。

ポートエリザベスには着いた日を含め5泊したが、素晴らしい滞在となった。ちょうど土日にかかったので、2月21日の日曜日にKotzéご夫妻が近くのアド国立象公園(Addo Elephant National Park)に連れて行ってくださった。象公園とはいえ、国立の動物公園であるから、シマウマやクドゥ、バッファロー、チータなど多彩な動物がいた。

2月23日にポートエリザベスからケープタウンに移動した。ケープタウンは、平坦なポートエリザベスとはうって変って、坂の町であった。そしてずっと賑やかで活気がある。またドイツ人やイタリア人などのヨーロッパ系に加えて、マラウィ人やジンバブエ人なども多く、非常に国際的である。もう1つの違いは、いわゆるtownshipがあちこちにあることである。ポートエリザベスにもあるのかもしれないが、1つも見ることはなかった。しかしケープタウンでは車で走っていても、粗末な家がぎっしりと密集した地区をあちこちに見ることができる。

訪問したケープタウン大学は、大学ランキングがアフリカ一と言われる大学である。そこのDr. Matthias Brebzingerとお会いした。Brenzinger氏はドイツ人であるが、Faculty of Humanitiesの中に、Centre for African Language Diversityという研究室を運営している。氏は我々のプログラムのケープタウン大学のカウンターパートである。気ごころ知れた間柄であるので、連携の話はスムーズに進んだ。氏とそこの研究員をしているSheena Shah氏は2016年3月2日から14日まで、我々のアフリカセンターを訪問し具体的なプログラムの進め方について話し合うと同時に自身の研究を進めた。

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写真3. ケープタウン大学図書館

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写真4. Dr. Brenzingerの研究室にて。バックの地図はコイサン系話者の分布図。

 

ケープタウンではもう1人の研究者と会った。Khoekhoe語の専門家であるDr. Wilfrid Haackeである。私とは1998年から面識がある。しばらく前にナミビア大学を定年退職し、今は娘さんのいるケープタウンの北の方に住んでいるという。我々のプログラムの高田氏とも懇意である。ケープタウン出発の前日に、奥さんともどもケープタウンまで会いに来てくださった。今はステレンボス大学と関係しながら研究を進めているということであった。

今回の私の南ア滞在は9泊と短いものであったが、様々な人のおかげで非常にスムーズに進み、かつ有意義であった。我々の頭脳循環プログラムも始まったばかりであるが、今回の旅行で、あと2年間順調に進む確信を得た。